2 測候所裏手の海岸の老松
 
  

写真説明 (2)
 上の写真も(1)と同時代のもので、測候所裏手の海岸広場である。
 明治になるまでこの地は、京極多度津藩の軍事調練場であった。第5代藩主の頃、ここで佛式(洋式軍事訓練)調練がおこなわれていた。(1)で見るように、このような根上りの老松がズッと西へ続いていた。
 広い草原で私達の子供時代は毎日、この広場で、陣屋とり、角力、駆っこなど、又、夏は海水浴にと、まことに格構な遊び場であった。また小学校時代は、ここで「早起き会」なるものを全校生、この広場に集められて、体操をしたものである。
 大正14年夏、琴平参宮電車が桃陵公園下のトンネル貫通により、電車が東浜桟橋通りまで延長し、この測候所海水浴場に休憩所の大テントを設けてPR、盛大なものであった。この海岸は遠浅で、潮干狩でも賑ったものである。この遠浅の地は、埋め立てられ、現在の「日の出団地」が出来たのである。
 またこの老松の手前広場に、香川県立水産講習所(現在の県立多度津水産高校の前身)が昭和12年4月に創設され、当時並に改築した建物は現在「三光繊維」となり、学校は現在地へ移転した。
 この美しい2枚の海岸美も時代の波には杭し得ず、埋立てて無い。全く惜しいような気持もする。
                          (昭和47年9月10日・記)

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