16 多度津で一番の写真撮影 (採形術?サイケイ術)
 
 現在、外国でカメラと眼鏡で日本人が判るとさへ云われる程、失禮乍ら猫も杓子も人間様もカメラの1台や2台を持っていない人はない程に普及しているので、そう目新しい問題ではないが、多度津で一番早く写真機を持って、写した人を紹介する。
 時は、慶応元年10月23日というから、ザッと100年以上も前のこと、多度津京極藩の家老職、林三左エ門さんが、多分江戸表へ罷り越した時、南ばん人か、貿易商人あたりから買受けての土産と思われる。
 この日、この珍しい写真機を三脚に取りつけ、黒白の暗布をスッポリ機械と自分の頭にかぶせ、種板(ガラス乾板・学術的には知らないが、多分水銀も加工した乾板で、これを特種現像に出す)被写人物に向け、「動くなヨ動くなヨ」ものの二分も三分間も、ソレこそ微動しても、ネガブレになるので慎重に慎重に取扱ったものという。この家老さんが撮した人は、同藩家臣の富井退藏さんで、その当時の原板(一枚一枚桐箱入)で、最近、白黒に密着して見たらマァマァの出来栄であった。
 実物のガラス乾板にあるのは一寸茶褐色を帯び、若干水銀?の斑点が出来ている。光線によって大体は判る。
 この当時のことを、このように記録してある。
 
 慶応元年10月23日 家老 林三左エ門様、初めて撮影さる。
 これを「サイケイ術」または「蘭」「ホトカラピィ」ともいう。

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