11 咸臨丸出港、太平洋を渡る
 
 万延元年(1860年)2月10日、昼下がり東京湾を一路、4500浬(カイリ)の壮途についた、時の幕艦・咸臨丸(艦長は勝海舟・軍艦奉行は木村摂津守)折り柄の太平洋の大暴風にあい、難航実に37日かかって、日本人として初めて、米、サンフランシスコに到着したのであるが、この乗組として、多度津の佐柳から二人の水夫がある。一人は「富蔵」も一人は前田高次という人である。
このうち「富蔵は船中で発病しアメリカ到着を待って、同国の海軍病院へ入院手当されたが遂に3月10日、27才で死んだ。
 この墓は、現在サンマテオの日本人共同墓地にある。香川県知事金子正則氏は昭和32年5月30日、同地訪問の際、このお墓に詣いった。(金子正則著、北米だよりより)
なお出身地・佐柳島には「和去唐卒」と書いた墓石が寺の境内にある。
帰国の際の土産品として、ギヤマンのコップ、洋食皿などが現存されている。
兎角く、今から100年も以前に、多度津からアメリカへ行った人である。
備考 この土産品を町文化財として指定の下見に行ったが(47年12月末)惜しくもその子の代に他へ処分して無かったのは、洵に残念である。

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