7 弁慶自筆の大般若経(香川県指定重要文化財)
 
 多度津町の南、南鴨の部落の東に、大木の生い繁った森の中に、加茂神社がある。
この社前の法藏(耐火・耐水をしてある倉)深く格納されているのが、昭和30年4月20日、香川県指定をうけた重要文化財、弁慶自筆といわれる大般若経600巻である。
昔、元暦年間のこと、源平合戦のとき、平家一門を長門に追い詰めた時のことである。この時の大将、九郎判官義経は、一日荒波に、もまれ通して弱り切り、多度津堀江の浜にやっと、風に押し流されて漂着した。この船には義経・弁慶ら全部で九人。
 大変船酔いで弱っていた、大将義経は「この大嵐はキッと、海神の怒りであろうと思う。この近在に神祇を祀るものはなきか。あれば、海上安全を祈願いたしたい。」と申し出たので、家来は、付近の漁師にそのことを聞くと、「この向うの村に加茂神社があるから、そこへ頼んだら」との返事で、義経はここへ頼んで、祈願をこめた。そのお蔭でか、さしもの大嵐もやわらぎ、義経も元気を取りもどすことが出来たので大喜び、そこで弁慶は、そのお礼にと一夜で600巻のこの大般若経を書き写して、この加茂神社へ奉納したという。これを俗に「弁慶乃の字の大般若経」という。
  
附記
 一説には、現在堀江浜(蛭子町住古老談)では、義経がこの浜に漂着したことは事実らしい。
 そして、義経の家来から、ご祈祷について尋ねられた時、その当時は堀江八幡さんの別当職は、堀江の観音院であったので、おそらくここで、ご祈祷して差上げたのであるまいかという。
例の600巻もある、大般若経の置くところについて相談の末、南鴨の法泉寺(現在廃寺、寺趾あり)に納めたが、同寺は後に兵乱にあい兵火にかかった際、散逸を防ぐため、すぐ側の、この加茂神社にと運んだのが今のものであると力説している。
何れにしても貴重な資料ではあるが、伝承に過ぎない説であるので、後日これを研究してみるのも面白いことであろう。現物には各巻末尾に「乃」「ノ」と記され、これが「の」の字に見えるのが実は校了の「了」であるとも見られる。


(原文では般若経が盤若経となっている)


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