4 作家 竹田敏彦 (多度津町)

 本名は敏太郎といい、明治24年、多度津の門前(現在の本町)で生れた。後に家庭の都合で一家は神戸へ移住した。この間、一労働者となっていたが過労のためか、一時失明に近い位いとなった。そして遂に片眼はよくならなかった。この頃が一番苦しい時代でもあった。
 その後、上京して早大に学び、一方創作に励み、遂に今日残された数々の名作を書き著わしたのである。また氏は、中津にある「少女の家」の設立については一方ならぬ盡力があり、特に院長の三原スエ女史と共に中央官庁接渉ごとを引受けていた(前院長・三原スエ先生談)。その他、高見・佐柳などの僻地小学校へ色々と文化的什器などを贈ったりした。
 その後、雑誌「家の光」長編小説「地に満つる愛」取材のため、昭和34年2月18日、老駆をおかして帰町し、町有の桃陵丸に乗って、高見・佐柳の現地視察したのが、最後の帰町となり、帰京して執筆中、遂に自宅で逝くなったのである。年・72才。
◎ 作品の一部
春愁・制服の町・警察官・生産化粧・女は泣かず・脂粉追放・母と子の窓・前重将軍・暁は遠けれど、その他、多数あり。

 
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