3 書家 上田樹徳 (堀江)
 
 
 堀江の観音院すぐ前に先生の家はあった。この先生は、書のうちでも特に隷書(れいしょ)が優れていた。
 一時は、県立、丸亀高等学校の前身・丸亀中学校の習字のお手本として採用されていたこともある。
私のうちに吊してある「壽」の大書は、氏の晩年の作品である。
 生前は、多度津、丸亀辺から門人も多く通っていたことを思い出す。
 なお近在で有名な書家としては、北鴨の渡辺夢吉。道福寺には、高木栖鶴氏などがあった。

上田樹徳先生
 父はこの先生に書を習いました.多度津町誌資料編では先生の高弟の一人として,父の名が挙げられています.「壽」の大きな掛け軸は床の間にかけられていて,いつも目にしていました.
 普通,墓石には,「○○家先祖代々之墓」とか書かれていますが,私のところのお墓は「南無阿弥陀佛」と彫られていて,子供心にも不思議に思っていましたが,これも先生の書であることを父から聞きました.

 道隆寺には上田樹徳先生の顕彰碑が建っています.
 昭和51年に建てられたものです.裏面に
 
 先生諱ハ可親通称清治 弘化四年
 多度津堀江ニ生マレ 書道の蘊奥
 ヲ究メテ大師流正統第四十七代ヲ
 継グ 大正十一年九月六日卒ス
 行年七十六
 
 多度津藩の御典医であった三谷家のはりまぜ屏風には樹徳先生の篆書が残されています.

   
ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system