9 多度津火力発電所 (多度津堀江)
 
 堀江八幡宮前にコンクリートの大煙突3本立っているのが元、四国水力KKの多度津発電所である。
大正6年9月に第1期工事に着手、爾来第2・第3期工事を完成し、発電業務に從事していたが、施設の老朽化、その他の関係で、昭和39年2月28日、これを閉鎖し、盛大に閉所式を挙行した。
 第1期工事ごろは、排水にも今のようにヒーガルポンプもなく、足踏の農用水車を3台、4台と高くして水をリレー式に高い処へ排水したり、杭打もエアーコンプレッサーがないので、大勢の人々が綱を曳いて杭を打ち込んでいたことを私は小さい時、(小学5年生の頃)よく見に行った。
 この杭打ち(基礎工事の土台固め)は、1本の太い大きい柱を立て、これに滑車を取りつけ、この先に重い鉄の固りをつり下げ、そこから何十本もの強い綱を取り付たものを、1人が1本づつ持って「音頭取」の唄う声に調子を合せて、「エンヤコーラ、エンヤコーラ」と声を合わせて、この綱を引いたり、放したりして、鉄の大分銅を上下させて、その力で杭を地中に打ち込む作業で、仲々賑やかなものであった。この音頭取りは、いつも堀江の井上お春さんという女の人で、仲々の美声で近在にまで知られていた。
 閉鎖された後は、発電機、その他は、売却され、後進国へ送ったという。建物、大煙突は今の処、昔のままで、これは丸亀の塩田瓦興業所が買い取った。何でもこの工場は、ここで瓦を製造する計画であったようだが「公害問題」が地元から出て、町内や村々にアジビラ迄、出したとかで今は丸亀で出来た製品置場として使用している。
 また一方、発電所用の貯炭場や、その陸揚港も、同時に売却され、現在では、三井物産KK宮地サルベージが、廃船解体工場を建てて、盛んに鉄鋼船、(外国船を含む)の解体作業をしている。

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