2013/12/05 最終更新 |
多度津昔の町並み |
藩政時代の略図(在郷風土記 鎌田茂市写) |
文化12年の多度津村略図(在郷風土記 鎌田茂市写) |
明治以前の町型 第一図(神原益太郎(象峰)) |
明治以前の町型 第二図(神原益太郎(象峰)) |
明治24年頃の桜川埋立状況略図 |
硯岡小学校は明治5年の学制頒布によって設けられた旧多度津小学校で、明治10年に上図の旧須賀町に移転し、明治20年小学校令によって多度津尋常小学校と名称を改め、さらに明治21年に上図の小学校予定地とされている場所に移転しました。これがさらに大正15年に栄町の現在地に移転しました。讃岐鉄道会社の設立は明治23年5月ですし、測候所は明治25年にできましたから、年代的には少しおかしいかもしれません。 |
明治40年頃の多度津町(渡辺一郎、少年時代の思い出、多度津文化財保護協会会報第7号、昭43・3 |
旧多度津小学校及び家中の一部(和田吉史、記憶の町並み、銀杏第67号) 旧多度津小学校は現在のJR多度津工場のところにありました。 |
大正末、昭和初期の町並み(和田吉史、記憶の町並み、銀杏第67号) 四国水力電気株式会社は明治43年に開設されましたが、本社屋が桜川二つ橋河畔に新築されたのは大正2年です。 町立染色学校は明治32年に開校し、明治43年に廃止されました。 |
明治37年以前の旅館街東浜(米田明三、銀杏第12号) |