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薬用酒である保命酒は,1659(万治二)年中村吉兵衛が「十六味地黄保命酒」と命名して鞆の津で製造をはじめました.1685(貞亨二)年には,福山藩から醸造独占権を得て,販路を拡大しました.
保命酒の容器は,初めは備前焼の陶器を使用していましたが,生産量の増加につれて,また,容器に付加価値をつけて販売するために,全国の様々の陶器を使うようになりました.
幕末には,自ら容器を製造することが必要となり,1865(慶応元)年に鞆梅谷皿山窯で作られるようになりました.ここでは,徳利,花器,漁具などが焼かれ,鞆皿山焼ともよばれていました.
しかし,この窯も1938(昭和13)年頃には廃れ,いつの間にか忘れられてしまいました.現在,この窯跡は一部崩壊しているものの,12の焼成室からなる連房式の登り窯で,天井が残っているの全国的にも珍しいものです.保存状態もよく,土取りの跡や池,井戸,制作場などが残っているのも特徴です.
本展では,鞆皿山焼で作られた保命酒徳利,醤油,酢徳利,日用雑器を展示するとともに,鞆皿山焼窯に関わる中村家文書を紹介しています.
(資料館発行の同展図録より引用した)
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