最終更新日 2015/04/27 |
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昭和30年代〜40年代の多度津の風景 | |
お詫び | |
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初泳ぎ | |
多度津町元旦の恒例行事初泳ぎ いつのものかはっきりしませんが,東予館前の勢揃い.多度津工業高校の生徒さんたち. みんな,赤ふんどしですねえ. |
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学生服に制帽.手こぎの和船. | |
多度津内港を一泳ぎ. | |
関西汽船待合所(多度津商工会議所)前で準備体操. 公衆トイレのW.Cの文字はすごいですね. 「丸山タクシー」の看板も懐かしい. 丸いポストも写っています. 自転車の向こうに,ねんねこでおんぶされた赤ちゃん.こんなスタイルを見ることもなくなりました. |
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この初泳ぎは上のよりもあとの初泳ぎでしょうね. ふんどしから,海水パンツに替わっています. 傘に描かれたスポンサー名には,「葛上精肉店」「合田酒店」などが読み取れます. |
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港の風景 | |
神戸・大阪行き関西汽船の出航風景 当時は,朝夕2便が就航していました. 修学旅行もこんな船で大阪天保山港へ行きました. |
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船は出ていってしまいました. 船名が分かるといいのですが... |
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サルベージ船です. 港内の浚渫作業でしょうね. |
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白灯台が見えますが,防波堤のうえにはテトラポッドようなものが見えます. | |
内港を正面に見たところです.二つの灯台が見えます. 手前の船は,志々島−粟島航路(板倉回漕)の燕丸のようです. |
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多度津港全景 上側が外港,下側が内港です. |
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下の写真と同じ頃に撮られたものですね. 橋の向こう側は外港で,関西汽船が出航待ちで浮き桟橋に係留されています. |
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現在,魚市場や青果市場のあるところの埋め立て工事は昭和39年2月に完成しましたが,これは,工事に着手して間なしのころで,昭和38年頃のものと思われます. | |
臨海土地造成事業着工時で,昭和45年のことです. | |
福山−鞆間にフェリーが就航したのは昭和41年のことです.これは,開業直後の様子です. | |
港橋の下の埋め立てが始まる. この先から対岸まで一直線に道路が延びることになる. |
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上の写真で,海側の埋め立て. | |
臨海土地造成事業 着工 昭和45年10月 竣工 昭和49年3月 |
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新しい造成地にはまだ何も建っていませんが... | |
造成事業 竣工当時 |
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ちらほらと,建物が建ってきました. | |
街角の風景 | |
電車場から港へ向かうメイン道路にかかる橋で港橋と呼ばれていました.橋の下は川ではなく,内港と桜川を結ぶ水路でしたが,これは,埋め立てられて,さぬき街道となりました. | |
関西汽船案内所 西讃海運株式会社,瀬戸内海汽船などの看板が読めます.多度津から鞆(福山),尾道行きがありました. |
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上の案内所は閉鎖されてしまいました. その向こうに見えるのが東予館です. 横に止まっているスバル360(年式不明)は,昭和33年(1958年)に富士重工で開発された国産初の量産型軽乗用車です. |
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踏切の横に建つ洋風の2階建ては,旧多度津郵便局です.その向こうに見えるのは,多度津臨港駅です.両方とも,現在はありません. | |
琴平参宮電鉄(琴参)多度津桟橋駅のホールから見た街角. 映画の看板は,山本薩夫監督の「忍びの者」(1962年製作)です. 鞆−尾道航路は増便となっていますが,尾道-多度津間は2便になってしまったんでしょうね. |
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上の停車場のところに新しいビルが建設中です. 小町食堂はなくなって,更地になっています. |
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