ちらし寿司多度津町立資料館分館絵はがき・地図

2013/12/11更新


多度津沿岸実測図(明治9年)

 多度津町史(昭和38年刊)に明治9年の多度津沿岸実測図が掲載されていました。
 これは、左の図のように、丸亀との境である中津から白方までと、白方から詫間までの沿岸の二つの部分に分けて描いた実測図で、港や島までの距離が書かれています。面白いことに、多度津からみて北に見える海を内側にして描かれています。このように不思議な描き方をどうしてしたのか考えてみましたが、これは二つ折りにして、裏返してみればつながって見えるようにしているようです。
 明治40年頃には多度津港の大改修がされていますし、それから何度も埋め立て行われていて、現在の海岸線はこの図とは全く違っています。これは明治9年の実測図ですから、ほとんど江戸時代から幕末の様子を表していると思われます。よく眺めると非常に面白いものです。
 ここで距離は○丁○間で表されていますが、1丁=60間=
1.82m×60=109.2mです(本当かな?)
 下に左右の部分を拡大して表示します。


 上が北で、東は中津から、西は白方までの海岸線です。堀江八幡宮(弘浜八幡宮)、家中天満宮があって、ここにはハト(波止)と呼ばれる防波堤がありました。天神さんのハトは、子供のときには「くずれハト」と呼ばれていたものです。「川口」とあるのは桜川の河口です。湛甫(たんぽ)というのは、藩政時代に大改修された港のことで、現在の多度津港内港に当たります。「白方八幡宮」は熊手八幡宮です。
 白方川は現在弘田川と呼ばれています。


 
 上の図に続いて、白方から詫間までの海岸線です。地名として、海岸寺は分かりますが、四国山は、大正11年の地図にある、八國山(弥谷山)のことでしょうか。ミタチ山、フクシマなどは不明です。カラト(唐戸)は現在もあって、ここにもハトやタンポがあったことが分かります。見立を越えて久保谷に至るまでが現在の多度津町です。西の端に松崎川とありますが、これは現在高瀬川となっています。
 島では、木笠島とありますが現在は亀笠島と書かれます。志々島、津島がありますが、津島は子供の神様津島神社で有名です。唐島は、現在は陸地に取り込まれています。



大正11年の地図



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