ちらし寿司多度津町立資料館分館

2013/08/12更新

2014年夏期企画展「戦争資料展」講話

演題 【青い目の人形】 人形たちの声が聞こえますか
講師  石井 雍大氏(香川県親善人形の会、香川県歴史教育者協議会)
日時  平成26年8月2日 午前10時〜11時
場所  多度津町立資料館ロビー



講話要旨

1.1927年(昭和2年)の人形交流
  • 移民問題→日米間の緊張
  • 時代背景(国際情勢、不況)と日本の歩んだ道
  • ギューリック博士の提唱→友情人形・各地での歓迎会
  • 58体の答礼人形(市松人形)
2.15年戦争と暮らし
  • 1931年(昭和6年)満州事変
  • 1937年(昭和12年)日中戦争
  • 1941年(昭和16年)アジア・太平洋戦争
  • 行き着いたところ→鬼畜米英
3. アジア・太平洋戦争中の人形たち
  • 青い目の人形たち
  • 動物たちまでも
  • 救われた人形たち
  • アメリカの答礼人形(ミス「香川」)たちは
4.人形たちの問いかけるもの(結び)






ギューリック博士

青い目の人形が持参したパスポート

 昭和初頭、移民問題から日米間の緊張が高まり、日本人排斥運動がおきました。昭和2年(1927)春、親日家ギューリック博士の提唱により、日米両国の友好・親善を願って、1万2千体を越える`青い目の人形`が送られてきました。青い目の人形は、全国の幼稚園、小学校へ贈られ、各地で盛大な歓迎会が催されました。
 その秋、我が国からは返礼として、大型の市松人形58体がアメリカに渡りました。これらは答礼人形と呼ばれ、それぞれ都府県の名前が付けられ、香川からは「ミス香川」が贈られました。
 太平洋戦争をはさんで、これらの人形は過酷な運命をたどることになったのですが、幸い、青い目の人形は252体、答礼人形は47体現存しています。香川県に贈られてきた102体のうち、たった1体アナマ・ジュリーちゃんが三豊市仁尾町吉祥院に残っています。
 ミス香川は、ノースカロライナ州自然歴史博物館に飾られています。
 


出発前のミス香川と嫁入り道具類

サンフランシスコ金門会館に勢揃いした答礼人形
(横浜人形の家提供)
ミス香川

ミス香川の乗船券 日本郵船 ファーストクラス

掲載写真は香川県親善人形の会の提供によるものです。
無断転載を禁じます。



ちらし寿司
多度津町立資料館分館

inserted by FC2 system