2013/06/14更新 |
多度津村の昔話 |
神原象峰(本名益太郎、多度津生まれの漆芸作家、明治30年〜昭和60年)が色紙に描いた明治初期の多度津村の町型 この色紙は町立資料館2013年に開催された企画展「ふるさと多度津の木彫漆工芸作家展」において展示された。 |
金比羅橋はなく、渡し船があったこと、象峰の4代前の神原長治が材木屋を営んでおり、後に、大通り町へ移ったことが書かれている。 |
現在の大通り町が、明治23年に讃岐鉄道が敷設されたときにできたこと、大通り町という町名を神原長治が付けたことなど、興味深い書き込みが見られる。 |