ちらし寿司多度津町立資料館分館


多度津港の移り変わり

 
 多度津は,天保年間に多度津湛甫(たんぽ)の築造によって,港町としての発展の基礎を築きました.
 明治に入ってからも,何度となく,港の改修と埋め立てがなされ,海岸線は大きく変化して,市域を拡大させてきました.現在の地勢は,昭和49年に竣工した臨海土地造成事業によるものですが,多度津市街地の大部分は明治21年以降の埋め立てによるものです.
 桃陵公園の展望台から見る瀬戸内海の眺望は素晴らしいものですが,ここからは多度津の町内も手に取るように見渡すことができます.昔から,この眺めは,絵葉書や写真に残されて来ましたので,それらを集めると多度津港や港町の移り変わりを知ることができます.


 明治39年から,多度津港改修工事が始まり,手前の蔵が並んでいるところがまず埋めたてられました.明治43年に多度津港桟橋が開業し,翌44年に築港改修・埋め立て土地造成工事が終わりました.右に見える土地は現在の東浜ですが,できたばかりで,まだ,1軒の建物も建っていません.

 外港の防波堤も完成し,桟橋には汽船も停泊しています.手前の蔵の横手に家が建てられているところです.





 上の絵葉書の左部分に接続する写真です.干潮時で雁木が大きく露出していることが分かります.遠くに見える煙突は堀江発電所のもので,3本建っているはずですが,はっきりしません.

 上の2枚を繋いだ多度津内港の様子です.




臨港線浜多度津駅まで開通したのは昭和6年です.

昭和38年刊行の多度津町史に掲載されている写真
魚市場,青果市場となったところの埋め立て工事は昭和41年に完工した

臨海土地造成事業着工時 昭和45年12月


明治以降,多度津町は海岸線の埋め立てによって,拡大してきました.
現在の地形は,昭和49年4月竣工の臨海土地造成事業によるものです


昭和49年当時の航空写真

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