ちらし寿司多度津町立資料館分館>絵葉書

最終更新 2008/11/22

 古い桃陵公園の絵葉書を手に入れました.
 桃陵公園は,桃山あるいは多度津山と呼ばれていたお山を,昭和5年,当時の今井浩三町長が爆破演習の名目で善通寺師団の工兵隊を動員して整備して公園としたものです(在郷風土記).
 この絵葉書の袋に描かれた「一太郎ヤーイ」の銅像は正しくは「奉公記念標」というものですが,昭和6年に建立されました.この銅像は昭和17年,戦時の金属供出で取り去られましたが,翌年にはコンクリート像として再建されました.


この絵葉書は,和歌山県の大正写真工業所で印刷されたものです.

桃陵公園登り道の景致

桃陵公園楓峡の錦雲橋

 

今風には「遊園地」と呼ぶものでしょうね.中央の松の陰になって見えませんが,ここには大きな滑り台が今でもあります.子供の頃,大きなブランコの記憶はありますが,写真のような滑り台や回転塔のようなものはありませんでした.
桃陵公園松風亭と子供運動場

桃陵公園祖廟社と奉公記念標

桃陵公園奉公記念標たる一太郎ヤーイ 現在の一太郎やーい


桃陵公園城岬にある聴濤亭

桃陵公園三望亭の雅趣

桃陵公園松籟荘の風趣

 この絵葉書の表面にはスタンプが押されていました。この絵葉書を買った人は、多度津-尾道連絡船を利用して金比羅さんに参詣されたようです。
 多度津港と一緒に、国定教科書が描かれていて、「第十三 一太郎やあい 日露戦争當時のことであった。....」と書き出し部分が読めます。
金比羅さんと高灯籠です。


 


 

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