(工事中)
 小学生の頃我が家には,写真のような蛇腹式のカメラが数台あって,ノブを回すと,蛇腹が伸び縮みして,まるで機関車のようにレールの上を動かせて遊ぶことができました.今にして思うと不思議なのですが,カメラをおもちゃにして遊んでも,頑固者であった父から叱られたことはありませんでした.また,ガラスの乾板もたくさんあって,これはパチンコの標的にして遊んだりしました(ガラスを割って遊んでいたとは恐ろしい).
 父は,若い頃カメラ大好きでいろいろ写真を撮っていました.姉は,父に写真を撮られるのが本当にいやだったといっています.何しろ「動くな!じっとして!」の時代だったでしょうからね.まあ,「ちびまる子ちゃん」のたまちゃんみたいなもんでしょう.兄も沢山写真を撮ってもらっています.午節句には,庭の植え込みの中に武者人形を配置したジオラマ写真のようなものや,屋根より高い鯉のぼりの写真とかがあります.でも,末っ子のわたしの写真は全然ありません.太平洋戦争の直前に生まれたわたしには,父も写真を撮る余裕はなかったのでしょう.終戦後,父は全く写真を撮ることはなかったようで,カメラも機材も放りっぱなしになってしまい,子供のおもちゃになってしまいました.
 戦後は,カメラもフィルムの時代で,兄がお座敷暗室で引き伸ばしをやっていましたから,その手伝いをしたりして,かなり小さいときから写真には興味をもっていました.
 小学生のときには,たまに買ってもらった少年クラブの付録についていた日光写真やピンホールカメラで遊びました.付録の工作ですごいのは,当時人気のあったリコー二眼レフを作るというのもありましたが,難しすぎてうまくいきませんでした.
START35  中学生になって,初めて買ってもらったカメラです.どうやってねだったのか,中学生になったから買ってくれたのか,はっきりしません.撮ったフィルムの現像や焼き付けはちゃんとした写真屋さんではなく,今にして思えば素人のもぐり営業だったのかもしれません.フィルムを預けて,翌日受け取りに行くときの期待感は堪えられませんでした.このカメラで写真の基本を学んだようなものですねえ.

KONICA VM  高校では余り写真は撮らなかったように思います.やはり,受験勉強に忙しかったのでしょう.大学入学祝いに本格的なカメラを買ってもらいました.父と一緒に高松まで買いにいきました.Konica VMは,セレン電池露出計の組み込まれた最初のカメラで,発売直後のものに飛びついて買ってもらいました.

KONAN-16  学生にはフィルム代も高価でままならず,普段は,兄から借りた16oフィルムのカメラを使っていました.KONAN-16はフィルム巻き上げとシャッターセットは,操作部分を出したり入れたりするという面白い仕組みでした.このカメラは引っ越しを繰り返す間にどこかへいってしまいました.

MAMIYA-16  当時は,16oカメラというのが一つの流行でもあり,その中でもっとも機能の優れた物としてMAMIYA-16を買いました.露出計を内蔵し,大きな歯車を回してフィルムを巻き上げるという機構で,23cmまでの近接撮影ができました.

OLYMPUS Pen F

OLYMPUS OM-2

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