在郷風土記の掲載を終わって |
父の残した在郷風土記をWEBページに掲載することを思いついて二月あまり。どうにか恰好がついて全体をカバーすることができた。これを掲載するに当たって、実に、多くの方々のご支援と励ましをいただいた。特に、300ページにもおよぶ本文のテキスト起こしには、ここで、いちいちお名前を挙げられないのが心苦しいが、多くの人たちに手伝っていただいた。この人たちのご協力がなければ、とてもこの電子版在郷風土記ができあがることはなかった。ここで、改めてお礼を申しあげることにしよう。 手書き原稿で読みづらいところも多く、また、旧字体の漢字や父自身の独特の当て字や読み方、送りがなの付け方などが至る所にみられたが、明らかに間違っていることが分かっていても、できるだけ原文の通りに表すようにした。 父はこの風土記を書き上げて7年後の昭和52年8月16日に73歳で亡くなった。自分が父の年齢に近づきつつあることに愕然とするとともに、自分の父ではあるが、よくここまでのことをやったなあと感心するにつけ、生前、感想なり批評なりをきちんとしてやっておけばよかったと今更ながら後悔している。 父は明治生まれの頑固者であり、当時の父親が普通そうであったように、家では煙たい存在であった。商家の長男として生まれ、小学校しか出ていないことを残念に思い、子供の教育にはうるさかったので、余計に距離感があったように思う。若いときには随分反発もしたし、寂しい思いをさせたこともあった。しかし、そのお陰で現在の自分があることを思うと、改めて「ありがとう」の一言を今からでも伝えたいものである。 「孝行のしたい時分に親はなし、さりとて石に布団は着せられず」 今度、上田樹徳先生の書の刻まれたお墓に参ったときに、「お父さんの在郷風土記をホームページに載せたよ」と報告することにしよう。ここには四年前に亡くなった母も眠っている。きっと、二人して喜んでくれることだろう。 合掌 平成18年3月10日 鎌田 輝男 |
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