3 殿さまのお通り
 
 どこのお殿さまでも、公式に外出するときは、共揃え(徒士、目付役、脇侍)などを從えて、道中、美しく行列したものである。
 多度津藩でも、その例外でなく、参勤交代の時や、毎年お正月に本家の丸亀藩へ、お正月のお祝い言上の式で行く慣例であった。
 この殿様が、お通りになる道筋では、予じめ藩の役人から、その村々にお達しがある。
 多度津の殿さまのお通り筋は、家中ご殿から、大抵お輿に乗って、大還(おおかんと読む)丸亀道を、前にも書いたような大勢の家来を引きつれて、この大還道を、鳥毛、挟箱など「奴」に拍子も輕く、これを捻ねらせ乍ら、ゆっくりゆっくりと、道中したものである。
 記録によると、このお殿さまのお通り筋のうち、北鴨村では、鴨大師から塩屋橋までの間で、この区間のそうじや、打ち水をすることである。これから考えると、地元新町の百姓たちは、北鴨のお大師さんから西へ、家中のご殿までが受持であったかと推定出来る。
 また、この殿さまが、お通りになる刻限前になると、俗にいう「露拂い」金棒曳などが、先布れ(さきぶれ・予告)に来る。そして先駆の役人が見え出すと、百姓・町人・その他一般通行人は、通行を止め、「土下座」(地上に坐ること)して、お通りを迎え、通り越すまで、頭を垂れていなければならない。若し、途中で立ったり、顔を上げたりすると、「無礼者!!」と一声、首を切られても致し方がないと、言われたものである。
 また、このお通り筋の家々では、皆、雨戸を閉めて、もっとも二階などから、見下すことなどは、きつい法度(はっと)であったと伝えられている。

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