2 奇行僧 山地願船 (南鴨)→(出来町)
 
 この奇行僧、山地願船は、多度津町南鴨の産れであるが、多度津の出来町裏に(現在、浅見家の西裏にあった、当時貧民窟のような、ボロボロ長屋が三軒あった。便所も共同で一つだけ)永らく住んでいた。私の子供時代によくゴミゴミした裏長屋を通って学校が近道になるので、鼻を押さえて走り抜けた所。
 ここに乞食坊主が居たことも思い出されるが、後になって、これが当の奇行僧として著書にまでなろうとは考えても見なかった。只、一介のへんろ坊主位いにしか思っていなかったのである。
 この僧は、前述の通りで、無慾恬淡(てんたん)=(慾がなく、平然としていること)粗衣、粗食に甘んじ、生涯、寺を持たず、毎日、社会教化につくしていたのである。
 毎日の常食は、ヒズリ(雑草で鶏などに与える草)を入れた雑炊にドクダメ(臭い薬草)を、摺り鉢でよく摺り、これに黒砂糖を混ぜて、おかずにしていたと言う。
 この坊さんが、ある日、外から帰えって来ると、家の中に、見知らぬ一人の男が、掛けてあった幅物を降ろして、見ていたのが、坊さんを見て驚き、急に逃げようとしたので、この坊さんは、優しくこれを呼び止めて「ワシのうちでも、お前さんの気に入るもんがあったら、上げる。ワシが居ては、持って行きにくいから、ワシは一寸外へ出ているけん、遠慮しないで持ってお行き」と言うと、その泥棒は、何にも持たずに逃げ出そうとしたので、更に呼び止めて「よその家を出る時は、後ろを締めて帰えるもんじゃ」と、たしなめたと言う。一事が万事こんな調子で、その他、奇行ぶりは沢山あるのでここでは、割愛するが、その一生は全く奇行に富んだ坊さんであった。
 この坊さんは長生して、昭和15年に80才の高齢で死んだ。
なお、この坊さんの日常の言行は「街の聖者山地願船伝」という本になって、発行されている。
 この著者は東京市に住む高田集蔵氏である。
なお、多度津町立図書館にも置いてあると思う。一生一代の奇行僧であった。

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