2 陽明学者 林良齊
 
 多度津京極藩の家老で、通稱、求馬といい、名を林壮、久中と稱し、良齊は、その号である。
また自明軒とも言っていた。文化4年の生れで、父の後をうけて家老職となったが、肌に合わずとして、甥の三左エ門に家職を継がして、自分は大阪へ出て儒者、大塩平八郎について陽明学を研究し、帰国してから、陋説七條・自明軒自警録・自明軒遺稿・自明軒文鈔・類聚要語・学微など多くの著書を書き上げ、陽明学者としては、本県初の人であった。
 また一方、前に記した堀江の「弘浜書院」を設けて、藩士の子弟を教育していた。この大学者は、嘉永2年5月4日・年43才で歿した。
そのお墓は、門人達の手によって、田町の勝林寺境内に建立されている。

ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system