13 防空訓練と竹槍訓練
 
 このことについて少しばかり触れてみると、防空訓練は警察官や、警防団の人が、その隣組に来て、街角や、屋根の上で発煙筒をたいて、白・黒・茶などの色煙を出させ、「○○さん宅の屋根に焼夷弾落下、今盛んに燃え出している」などの想定を下し、家庭にいつも警戒態勢で待期を義務づけられている。防空従事者は一斉に火叩き、バケツなど(いつも一定した所へ備え付ける防火用水溜も同様)義務づけられているものを持って、現場に駆けつけ、直ちに火叩きで延焼を防いだり、直接火点をおさえたりし、一方では片手間隔で往復の二列横隊に並び、手送りのバケツに用水桶の水を入れて、これをリレー式で次々と運んで、最後の人が勢いよく、火点に、この水をブッかけて火を消し、空のバケツは反対列の人のリレーで用水のある処へかえされてくる。
 この防空訓練と関連して、竹槍訓練が半強制的に行われた。
 戰果は、日毎香しくなり出して来た。そこで、軍部は、本土決戰という苦しい言い逃れのためか、殆ど毎日防空訓練の済んだ後とか、特別に、この竹槍訓練を強硬に実行させた。昔、軍隊でやっていた銃剣術で、後ろ鉢巻にモンペー(女)巻脚絆に戰斗帽(男)姿で指導員(主として在郷軍人)の号令で、「構え槍、前へ前へ、後へ後へ、突け」とそれこそ(ヘバル)(動けない)まで何十回も繰返すのである。ただ除外者として、年寄(動けないもの)病人、子供は除かれ、その他の者は、強制的にこの訓練を義務づけられたのである。

ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system