7 俘虜 (捕虜ともいう) | |||||||||
この日露戰争で、最後までよく任を果たしたが、武運つたなく、日本の捕虜になった露軍の将兵が、明治37年7月22日に多度津へ上陸して、塩屋別院へ350人、同38年5月5日には白方の海岸寺へ1000人来た。 これらの人々に対しても総て温かい手をさしのべたので、彼等も時々多度津小学校へ来て、運動会などの時には、それを見習ってやる兵隊も出て来たという。 また、彼等の中には音楽愛好家や、舞踏(ダンス)をする人も多くあって、時々町の人々の前で公演して見せて呉れたという。 白方にいた捕虜が、和平條約によって自国へ帰える時の記念写真が武田明先生のうちにある。何れも帰國の喜びをそのまま、町・村長その他の人々と写っている。今この写真の中に、今尚幾人かは生きているのではないかとも思う。 この戰争に、中ノ町の鎌田猛男さんのお父さんも参加して功を樹て、勲八等白色桐葉章を授けられている。
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