10 多度津町立染色学校 (廃校)
 
 この町立染色学校は、国鉄予讃線多度津西踏切から西へ100米位の処にあって、校舎の周囲に大きいポプラの木が聳えるという程、高く伸びていた。今は、これも住宅街となって、見当もつかない。廃校後の校舎へ多小校の分校として使用していた当時、私も小四から高小卒まで4年間、ここに通学したので思い出も深いものがある。
 横と裏が、田んぼで、遊び時間に垣をくぐって外へ出て、カニを取ったり、蛙を釣ったりして遊んだ。悪童は、いつの間にか凧を作って飛ばして、その糸を窓から教室へ引張り込んで先生に叱られる子も多かった。職員室と教室の間に巾5間、長20間位の堀があって、その上に、屋根付の橋が架かっていた。冬はこの堀が氷って、結構、この氷の上で辷べることが出来た。
 余談はさておいて、本筋にもどそう。
 この染色学校は明治32年7月25日文部省に申請し、同年9月30日に認可開校したが次第に生徒数も時流に押されてか減少したので、町経済のこともあって、遂に明治43年2月16日これを廃校とした。
 学校設置の事由は、当時は多度津に2・3軒の紺屋業があったが、全くの昔流の「紺屋」作業をしていたので、進歩改良を図る目的で開設し、広く生徒を募集した。本県に於ける職業学校の嚆矢ともいうべき専門学校であった。

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