6 集読書院 (多度津町若宮町)

 わが多度津の殿さまは、学問がお好きであった。
多度津と三野郡(三豊郡)財田村の上ノ村の2ヶ所に「郷学」を開設して、四書・五経・國史・漢文などを習える所を設置したり、新町村に自明館、堀江村に弘浜書院などを設けて、広く、武士の子弟や、町民百姓にも勉強させた。
 ここに掲げる集読書院は、明治4年に廃藩置県となって、多度津は倉敷県に配されて、お殿さまは上京することになった(家族全員引越し)際、自分の持っていた沢山の本を、広く町民に読んで貰おうと、全部、町へ残されたので、町民は、若宮町(現在・本町一丁目と仲之町のT字路の突き当りの処)にあった大神宮さんを若宮さんに合祀して、その跡に三階建の洋風木造家を建て、「集読書院」と名附け、(これは現在の図書館に相当するもの)二階下を会集場とし、三階に大太鼓を吊し「時太鼓」(今の時報)を打たしていたという。この三階建の集読書院は、多度津で一番早い洋風建築であったという。その後、この書類全部は郡役所へ移管して、その後は判らない。このすぐ側に藪内某という散髪屋があって、この床屋を皆が大抵「太鼓堂のおっさん」と私らは言っていた。

 
ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system