3 多度津警察署の起りと現在 | ||||||||
明治5年4月に、初めて香川県に警察が設けられた。その頃は「取締り」と呼ばれ、警察は「取締出張所」といい、県下にこの出張所は18ケ所、取締組数96人であったと言われ、このうち、多度津出張所には五人が配属されていた。そしてこの当時は警察官(現在)を捕亡吏・ら卒とも呼ばれていた。 明治8年12月30日、丸亀警察出張所第一分区の巡査第三屯所が多度津村に置かれ、同10年4月、丸亀より独立して、初めて多度津警察署となり、丸亀の一部・琴平・高瀬・和田浜・寺家に各々分署を置き、これを統轄していたが、同12年2月になってから、多度津は丸亀の分署となった。 明治19年2月、再び独立して、多度津警察署となり、多度郡一円(含む善通寺村)を、管轄区とした。次いで善通寺へ、多度津警察の巡査派出所を明治29年12月21日設けた。次いで同30年にはこの派出所は分署となり、同32年4月の改正で、この善通寺分署は署に昇格し、これと反対に多度津の警察は善通寺の分署に格下げとなった。 大正15年6月30日、郡役所が廃止となって、多度津分署は再び「署」となった。 終戰后、昭和23年3月7日、警察制度の大改革(米軍の占領政策によるもの)で、從来の警察は全面的に廃され「多度津町警察署」となり多度津町一円を管轄とした。これを「自治体警察」という。一方、多度津・琴平・善通寺、各署の受持区域であった村落部を担当する「國警仲多度地区警察署」が善通寺に設置された。從って警察官には、自治警察官と國警の二本建のような型となった。 この警察制度の改革によって、新しく町村公安委員制度が出来て、警察行政にタッチした。 その後、昭和26年10月1日、警察法の改正で、町警察として続けるか、どうかについて住民によって決める投票が行なわれた結果、町警察を廃して、國警多度津地区警察署という長い名前に変った。國警になったので、町公安委員会は廃せられた。 この名前も同29年7月1日にまた改正となって、この日から、香川県多度津警察署となって現在に到っている。 多度津警察署も丸亀警察署に統合され,現在は,多度津交番になっています. 交番といっても,建物は前のままですから,立派なものです.
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