6 現在・フェリー接岸地
 
 昔は港の入口に金比羅宮奉献の常夜燈があった(内港一文字と西防堤)それと、外港西防波堤先端にも信号灯柱があって、水夫が三日おきに、石油の補給や、ランプの掃除に、小舟で行っていたのを、昭和25年6月、内港、外港の四燈を、國営管理の近代式燈台に移管した。外港西防波堤赤色4秒点2秒暗、同白色燈台は5秒点2秒暗、内港の赤白は不動と決定している。
 その後、港湾改修については町も県も力を入れ、度々港の内外の浚渫や施設の新設が行われ、最近では、昭和40年8月7日工を起したフエリーの接岸施設が完成して、鞆一多度津を約90分で結び、一日10便余となり三隻で運航している。

 この多度津港!!天保年間から現在につづく私達の港、この思い出で多い多度津の港も、近いうちに要相が一変する計画が町に於て、なされているという。
 何でも、この港を中心として東西に亘って、広大な埋立大工事が実施され、ここに大工場誘致、都市計画に基く宅地造成など遠大な構想であると聞く。私は何としてもこの完成を、私自身の目で確かめたいものと願っているのである。

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