3 金比羅さん一の鳥居 (多度津道)
 
 金比羅さんへ行く道に、大抵、東からは榎井村を通って行くものと、船を利用する者は、丸亀新堀から南條町を通って行く者と、多度津へ上陸した人は、船着場から、昔は駕や馬、または歩いて行ったもので、先づ門前町から鶴橋を渡り、南へ上って行く。旅馴れない者でも「金比羅大権現」常夜燈や道しるべによって行けるようになっていた。人力車が町に出来てからは、便利で楽しくこの人力車にする者が増えた。
 その頃の話である。どこにもある悪徳車夫などあって、船から降りた客に「お客さん、金ぴら詣りでしたら、お安く行きまっせ」と親切ごかしに車に客を乗せる。何しろ滅法に料金が安いので、お客は車上の人となって、例の通り「折り下り」−門前―川端―鶴橋へ出る。この鶴橋から200米の処に、問題の金比羅さんの一の鳥居がチャンと建っている。(註・この鳥居は今、桃陵公園登山口の上へ移設、大相撲雷電為エ門の銘あり)車曳きは、静かに梶棒を降し、「檀那、一ノ鳥居に着きやした」と言う。象頭山はまだ遥か南方に見える。そこで客は話が違う、イヤ一ノ鳥居までじゃと押問答の末、客は降りて歩くか、乗継ぐかするより方法が無かったと言う。
 全く笑話のようであるが、これはほんとにあったと言う話である。


桃陵公園に移された一の鳥居 雷電為右衛門の銘 つるはしよりうつす


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