8 活動写真・トーキー
 
 次いで大正初年から末期にかけて、活動写真が流行した。その殆どが輸入された機械のようであった。それでも、今までの幻燈と違って、人が歩いたり、自動車が走ったりする単純な画面が多かった。
チカチカと写って、目まいを生じるような代物であった。
大正12年東京大震災の記録映画が、今でも時々TVなどに再映されている、あんな程度のものであった。俳優(目玉の松ちゃん・尾上松之助丈)らの主演もの全盛時代のこともあった。また女優としては、水谷八重子などの人気も素晴らしいものであった。
この活動写真は急速に伸びて浅草六区・大阪千日前・道頓堀界隈の盛場は言うに及ばず、全国どこにでも活動写真館が簇生し一種のブームを引き起した。何れも「無声版」で、その後「トーキ」なるものが出来るまでは、上映前に弁士(解説・せりふを言う人々)が舞台に立って一々挨拶し、映画の進行につれて、迷調子で一人二・三役のせりふを言う。
「大入り」では、特に熱弁を振るい、少ない時は、飛ばしたりして味気ない時もあった。
それから暫くして「トーキ」が出来た。「トーキ」はフイルムと同調したレコード吹き込みを回転させて、画面から発声しているように見せる仕組みのもで、まだ当時は全部これでなく時折り位いのもので、貴重品扱いであった。それも、ワザとコップを落して、その音や、水をつぐ時の音、靴音、その他位いを入れたものに過ぎなかった。昔の思い出の一駒。

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