7 多度津の娯楽施設
 
 昔から人の集まる所、必らず何らかの娯楽施設が希求される。
 これに応じるように、劇場・映画館などが人口増加などに呼応して雨後の筍のように出来るのが一般通念である。
 わが多度津に於ても例外でなかった。
 藩制時代、已に、西浜に掛常小屋といって、莚か、板などで周囲を囲って木戸口を設け、この中で、歌舞伎芝居や、 加(ニワカ芝居のこと)などが上演されて、琴平詣の船旅の客や、土地の者たちから木戸銭(入場料)を取って見せていたことが旧士族・家中の富井遠藏日記に委しく書き残されている。
 (この写は別に保存してあるので参考にせられたい)
 旧武士たちも時々、この常小屋へ芝居見物に「家族召連れ、多度津常小屋に芝居見物に罷越云々」と屡々記されてあるので、一般町民百姓だけのものでも無かったようだ。
 その後、次第に恒久的建物が出来た。先づ西浜の稲荷下に翁座が出来、これと呼応するように、中ノ丁に壽座が「こけら落し」をし、大正年間には、田町の白髦神社南手に旭座が建ち、この旭座は、他よりは木戸銭も安く、農村のじいさん、ばあさんを対照とした、いわゆる庶民劇場で、見物人と役者が顔なじみになって、遂に駆け落などした人妻も何人かあった。又熱演?に感激してか?「花」=(小銭を紙に包んで舞台の人気役者に投げること)を打つ人々も多く、毎日毎晩、通しで、出しものを演じていたが、割合早く閉鎖、小屋は解体された。
 昭和に入って、大通町に「桃陵クラブ」が町として初めて映画専門館として相当盛況を見ていたが、これも時代の流れか、ラジオ・テレビなどの普及によって、不況続きで、遂に、昭和45年春、廃止され、これより先に、この桃陵クラブのすぐ前に大倉庫を改造して、高島座が出来て、映画・演劇・その他・色もの等をしていたが、施設がよくないのと、桃陵クラブと競合などもあって、この4・5年前に閉鎖し、現在、多度津の町には、劇場・映画館などの娯楽施設は一軒もなくなってしまった。
パチンコやが大通町と東浜に各々一軒づつある程度で、その他の娯楽施設は、今の処、何一つない淋しいものである。

ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system