6 昔の魚行商と魚屋道
 
 昔は、魚市場で競り市によって、各々自分の必要なと思う魚を買入れ町内は、その附近で「朝市」が立ち、これも早朝から初まって、すぐ終って仕舞うので俗にこれを「多度津の朝市」と諷せられ、今では「ど根性の続かない」というふうに取って、何事もパッとやって、花火のように消えて行く、多度津人としてまことに有難くない言葉の一つでもある。
 さて、魚屋であるが、競り落した魚を「イタダキ」といって、木製の浅い盥に入れて、これを頭上に乗せて、平均を取り乍ら町を売り歩いたものである。中にはこの「イタダキ」=「はんぼ」ともいうを二重かさねて売り歩く人もあった。この行商はすべて女の漁師町の人であった。上げ下げには人手を借りないと二重の時は、すべって落る。
 また一方、琴平の奥の方や、阿波の国の方へも、テクテクと天びん棒で担いで売りに行く(これは男)が、この魚屋が通る道は一定していたので、これを「魚や道」と古老の間では話している。
 大抵、門前町から、今の枝道本町二丁目辺から、小川に沿って南に上り、庄村を抜けて、旧金比羅道を通って琴平に出て、それから塩入・猪鼻峠越しをして、阿波の国へ到っていたという。
 現在のように冷凍機のついたトラックなどで運搬していることと、昔の行商の苦しかったであろうことを比較して見ると全く今昔の感に堪えないものがある。

ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system