2 伊能忠敬多度津附近の測量
 

 伊能忠敬の業績は、あまりにもよく知られているので省略し、ここでは多度津附近の測量した記録から拾録した。
 伊能忠敬が讃岐の測量に来たのは文化5年9月9日に来讃(1808年)
豊田郡和田浜に来て、更に観音寺に泊り、これより西海岸に沿うて、大浜に出て日蝕観測したが合にく、この日は曇天で成功しなかった。それから北海岸を実測して詫間・松崎・大見・見立・西白方・東白方・多度津・新町・堀江それから丸亀方面と測量して歩いた。
 多度津附近の測量は9月19日・20日に亘って行なわれ、多度津に天文場小屋を設け、臨時人夫として、人足16人(内2人は裁領)炊事に2人。

測量御役人 伊能勘解由様
 御下役   坂部貞兵衛様、下河部政五郎様、柴山伝左エ門、青木勝治郎様
 御内弟子  稲生秀藏様・上田文助様・久保木左衛門様
 御若党   神保庄作様
 棹取    善八殿、佐助殿、小者 5人
 
 なお多度津附近の測量に際しては、三井組南鴨村の庄屋、山地卯兵衛が、何かと測量に便宜を与えた。これは藩命で、地元の庄屋の負担となっていた。
勿論、地元の多度津村の庄屋亀右衛門も同様であった。

 これはアメリカで発見された伊能大図152号の部分です(アメリカ伊能大図展図録).多度津では,「京極壱岐守在所」「多度津」「新町村」「堀江村」「鴨村」「東白方浦」「西白方浦」「屏風ヶ浦」「雨霧山」「弥谷山」などの地名があります.亀笠島,津島,志々島,粟島なども描かれています.伊能忠敬は,多度津を測量したあと,丸亀を経て,金比羅さんまでの道程も測量し,金比羅さんにお詣りをしています.
 KenMapで描いた200年後の地図をみてもよくできていることが分かります.
 KenMapは200,000分の1の地図データを元にしていますが,伊能大図は36,000分の1で描かれていますので,島の形などは伊能図の方が正確です.200年で海岸線の変化がいかに大きかったということも分かります.


ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system