5 小地名のおこり
 

 この地名の起りも、人の姓が唱えられるようになったのと同じで、昔、といっても明治5年戊申戸籍が出来る前後から、戸籍を作る必要上、庄屋などが百姓や町人について「お前は寺の西に居るから姓を寺西にせ」「お前はお宮さんの前にいるから、宮前とせよ」と、言ったふうに姓を貰って、それに今まで呼ばれていた佐市とか、権八とかを結びつけたものである。但し、武士階級は前々からチャンと姓を賜わっていた。又、一部町民や庄屋勤めをする人々は姓がそれぞれ藩庁から名字帯刀が許されていた。
 これと同じように、地名についても、前頁にも書いたように、大きい栴檀が沢山あるので「大栴檀」と呼び、堀江の「四辻」は四つの辻にある土地とか町通筋(まっとうすじ)とは、村中を通って、町へ行く道筋の意で当時、何らかの根拠にもとづいて附されたものであろう。


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