第四節 昔の子供の遊び
 第一項 遊びのいろいろ
  第一目 男・女の子のあそび
   1 男の子
 

 いつの世代の子供でも、遊びと生長は切り離すことの出来ない。そして、今まで仲良く遊んでいると思っていたら、早や悪口を叩き合ったり、泣いたりする。然し、またすぐ、ケロリと忘れたように仲良くなるのが子供の世界でもある。
 この子供達の遊びにも、その時代時代が反映したものが多い
 多度地でも第八回国体(ボクシング)が昭和28年10月、桃陵公園であった頃は、男子は手袋でグロブ様のものを作って、到る処でボクシングの真似ごとをした。また少林寺拳法が始まった頃は、子供が「空手」の様な遊びをした。
 ここでは見出しにあるように、昔、私達子供時代にやっていた遊び****参考としたい。
 
 先づ、男の子の遊びとしては、陣屋取り、凧上げ、こま廻し、竹馬などが挙げられる。これらの中には、今の子供達も同じ方法で同じ様なことをやっているのを時折り見掛けて思わず童心に立ち返えることすらある。
 然し、見ていると平均して総てが弱々しい感じがする。
 特に竹馬の如きは、一寸、今のものとは桁はずれで、竹竿などは2m以上で、竹節の二段・三段はまだ序の口で、古参になる五段・六段と見上げる高さになる。
 これで競争したり、昔の八幡波戸の石の上を歩いたものだ。
 然し、中には竹馬から落ちて足の骨を折ったもんも多くあった。
 「ケッケ遊び」今の「メンコ」で名前は変っているが大体同じものである。
 次は「ケンビ」というまことに危険な遊びで、これは30cm〜40cm位いの木の枝や時には大釘、金の火箸などの先を鋭く尖らして、これを順番を決めて土地に力一杯ブチ込む。そしてその圧迫(せり合い)させて対手の「ケンビ」をその反動で抜き出す。抜けたら取られるのである。つまり負である。時には誤って対手の足にこの鋭い木や火箸をブチ込んで大ケガをする子もあった。
 次は凧上げで、これは、この邊では、大人まで特に漁師のあんちゃんや、おっさん達で上げる「大イカ」(大凧のこと)であった。六畳敷位いもあるデカい大凧のことで一人や二人では手におえない。一つに、十人も十五人も大人がかかって強い風の日に限ってこれを上げる。綱で私ら子供が使う「蛇腹糸」の何十倍もある、直径7mmもある太いものである。
 高く上った凧には武者絵や金時の絵が一杯に書かれてあった。
 この武者絵や金時の絵は、父栄祐が毎年漁師の若い衆に頼まれて、六畳座敷一杯の、この大凧に特別な力作を描くのが恒例となっていたのを今も覚えている。
 この時代は、電気がない時で、從って電柱、電線もなく、今の水産高校附近一帯は、広い田んぼで、一等の凧上げ場でもあった。

 次いで、女の子の遊びはどうであったか。
 これは多少の移り変りはあるが、大体昔のようなものが少しはうけ継がれている。
 先づ、お正月の、羽つき・手まり・などは昔のままで、時折り、思い出したように「糸とり」「おジャミ遊び」などをしているのを見ることがある。そして、これに伴う、おジャミ唄、手まりつきの唄などは婆さん、またその婆様たちが唄った唄をそのままうけ継いで、やっているのも嬉しいものである。
 おそらくこれらの唄は口から口へ、子から孫へと永遠に續くことと思うと尚更うれしい限りである。
 総じて、子供の遊びは今のように、電気利用の高級玩具、実物何分の一かの立派なプラモデル等、数千円もするものは思いもよらないことで、殆んどがお手製の粗末な自給自足といった、お金のかからないもの許りで、よく飽きもしないで遊んだものである。この上に、ケンケン(石けり)縄飛びなど。
 なおこれらに「つきもの」の手まり唄や、おジャミ歌、その他は項を替えて書くことにした。

                        

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