20 十二月(師走)年の瀬
 

 この月を昔は、師走(しわす)と言って最も忙しい月である。
いよいよ年の瀬も押し迫って来ると、家の大掃除をしたり、神棚を清める。農家では主人が夜業(よなべ)にお〆さん作りに励む。主婦は、お正月料理の買物や、子供達に着せる正月着作りで眠る間もない。
 商家では、この上に節期の掛取りがある。昔の慣例で商取引の決算は大抵、盆と正月の二回であった。特に大節期である年の暮は忙しい。朝早くから、番頭・丁稚(でっち)まで総出で掛取りに出る。掛取りとは集金のことで、腰に矢立(携帯用の墨や筆が一緒に一組となった鉄や銅などで作ったもの)を差し、大きい掛取袋を肩にかけ、お得意先を一軒一軒廻るのである。夜になると提灯をつけて行く。仲々寒い時で辛いものであった。私も商家生れのため、小学六年生の時から、本木の叔父と一緒にこの集金に廻ったものである。そして子供心に、社会の穢い裏側の一端を、いやほど教えられ、そしてまた、小商売人とは辛いものだと思ったのも、この頃であった。
 農家では、大抵自分のうちで、正月の餅を搗いていたが、町内では「餅つき人夫」が六人一組になって、臼・釜・ザルなど、一式を棒で担いで、捻じ鉢巻して、威勢よく掛け声を掛け乍ら、頼まれていたうちを次々と廻る。そして、道路側や、家の庭で手際よく餅を搗くので、ああもうすぐお正月が来るんだなぁと思ったものである。
 また、商家では、この「大つごもり」の晩は、節期に集金したお金の算用や、帳面づけの整理をしているうちに、一番鶏が鳴く頃となるのが通例であった。
 なお普通にどこのうちでも、大抵年の夜は寝ないで、起きている風習があった。
こうして、年が明ける。つまり夜が明けたら、新しい年、お正月となるのである。
 大体が、私達子供時代に於ける一年中の主な行事というか、習俗というかこんな單調な社会でもあり、実生活でもあったのである。
これらのことは世代と共に段々と改善されてよいものも多くあるだらう。
然し、昔から次々と言い伝えられているもののうちには、現在でいう「生活の知恵」とで言えるものも多少見出すことが出来るだろう。
この是非・善悪のついては、今の若い皆さんに委せよう。
良いと思うことは、また次の人々にも伝えて貰いたい。
昔、昔、お爺さん、お婆さんが歩んで来た遠い、遠い道を。


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