16 稔りの秋・収穫
 

 俗にいう、二百十日(この前後は台風期に当る)が無事終れば結構づくめであるが、年々そうは行かないで、時によると一夜の大嵐で出穂前の稲は葉ずれして、中には枯死全滅さえある。という悲惨なことも何年か目にはある。自然の暴威である。
幸い、この台風も無事通過して、黄金の波打つ頃ともなる頃、村々には、秋祭りの幟がハタハタと、ひらめき、祭太鼓の音が響き渡る。若衆組の獅子舞使い。氏神さんでは里神楽。家ではお祭り料理作りなどと忙しいやら嬉しいやらの日が続く。
 愈、稔の秋も終りに近づき、サテ、稲刈り、「稲ごぎ」それを莚に入れて何日も庭先や道路ぶちで天日乾燥する。それから「籾すり」となるのである。
 これより前に、稲を刈り取り、取り込みが終ったら「おかいれ」「お帰えり」のことかといって、大抵赤飯に煮〆などをつけて、配り合う。
サテ、いよいよ「籾すり」となると、今のように自動籾すり、調製機も無い昔のこととて、まず、夜半に起き出して、納屋の中央に「唐臼(とうす)」を据え、これに「ヤリ木」を取り附け、このヤリ木に男衆、四五人がつかまり、グルグルと唐臼を廻してお米にするのである。その臼の回転の間合を縫って素早く木地鉢で一杯一杯と臼の中へ入れる。これは殆ど子供の仕事であった。何分疲れるのと、朝が早いので眠いことでツイ、うとうとしていると、持っている木地鉢は唐臼に当って、ハネ飛ばされたり手に怪我をするという苦がい経験も私は持っている。
 大百姓ともなるとこの籾すりは何日も続く。近所の人や知り合いなどの人々が互に助け合う。(手間がいとも言う)現代語では労務提供(互助)に当るだろう。
 五月から始まった米作りの重労働も終って、庭にウズ高く積重ねられた米俵に、一家中は喜びに湧くのである。この中から何%かは、小作人(地主から田を借りて耕作する人のこと)は、地主に、年貢として納めるのである。
 籾すりが終ると「庭上げ」といって、ご馳走を作って、世話になった人や近所・親戚などに配って祝い合うのである。



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