14 八朔馬(はっさくうま)・午節句
 

今では、大体9月初旬に午節句がある。
これは、その家に男の子が産れた年を初午(はつうま)と言い、大抵の家では、餅米を粉にして、こしきで蒸かし、少々固目にコネで臼で搗いた団子を作って、この団子で馬や、鯛や、その他、色々な細工ものを作る。
そして、武者人形や、色々な人形、お城などを飾り立て、このだんご馬を適当な処へ飾る。そして、その子の前途を祝う一種の行事である。
 この行事は、西讃地方が最も盛んである。古老の話では、何んでも丸亀のお殿さんの時代、馬曲平九郎という馬達者の武士に、ゆかりがあるそうだと言う。
この、団子馬作りにつき、亡父栄祐は特技を持っていた。
節句前になると、近隣から、その馬作りを頼まれるのである。早いのは4〜5日も前から、これに取り掛かる。
蒸して、コネた団子は、手際よく見るうちに馬の頭となり、胴・足となり、目玉のガラスを入れたり、立髪・尻尾を植え込んで、衣装(女のしごきや、半襟など)を着けると、全く威勢よく、今にも駆け出すかと思う出来栄で、これは自他ともに、その傑作を賞めない人は無かった。
特に碁盤乘の駒・瓢箪から出た駒などは高く評価されたもので、時には、一斗・二斗という大駒まで作っていた。普通は米二三升位のものである。

 この写真は,私が本当に可愛かったころの写真です.おばあさんに抱かれているところですが,その後の床の間に飾ってあるのが団子馬です.しかし,これがおじいさんの作ったものであったことは,今の今まで知りませんでした.
 子供のときの記憶では,蔵の中に,団子馬の台というのがごろごろしていました.頭と胴が丸太でできていて,足は針金でできていました.これに団子を塗りつけて馬にするのですね.
 それこそもち肌の馬で,帯や紐で派手な飾りをしてあって,艶めかしい感じもしました.これは,最後には焼いて食べるのですが,少し日数がたっていて,酸っぱくなっていたりして,おいしいものではありませんでした.

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