12 水車、樽車、はね釣り瓶、かい桶
 

 日照でも続くと、あち、こちの池や川に水車が立つ。この水車とは、人がこの沢山出ている羽根板の上に上がって一足一足と踏むと水が勢よく上って来る仕掛けである。
それから、樽車(深い堀などの水を揚げる大型のもの)はね釣瓶(木を主柱とし、振子の理を応用したもの)かい桶(最も原始的なもので二人で綱を曳き合ってその彈力で水桶を持ち上げ水を汲み出す方法)などを使って潅水した。何れも人力によるもので、その労苦は骨膸に達したものか私は今にその辛かった事を覚えている。
現在のように発動機、電力等による揚水時代とは全く想像もつかないものであった。
加えるに近くは吉野川から山越えして農業用水(香川用水のこと)が通ずる工事が進められている。
前にも云ったように、稲作りと水は、切り離すことの出来ないもので、旱天続きともなると水争いが起きる。各地でこの水争いで流血争にまでなったことは数え切れない位ある。
一方また「雨乞い踊り」も各地で行なわれ、近くは南鴨の念佛雨乞踊り(これは香川県無形文化財として昭和31・5・12指定)や、多度津山、雨霧山のような高い山で大火を燃やして雨を呼ぶ行事があった。

 
 普通,水車といえば,落ちてくる水の力を利用して水車を回し,粉ひきに使うようなものを思い浮かべるがこれは違う.逆に,人間が水車を回して,水を汲み上げるものである.私はこれを知っているし,実際に,やってみたこともある.
 子供の頃,あまり広くはない田圃があって,そばの小川に水車が取り付けてあった.田圃は小川より1mぐらい高く,小川から水を引くことができないので,水車で水を汲み上げていたのである.水車に登り,階段を上がるように水車の羽を踏んで,水車を回転させる.子供の体重では,そう勢いよくというわけには行かないが,結構,水が上がってきたものだ.今,思い出すと懐かしいが,まるで無限階段のようなもので,面白いものではなかった.

   
       水車(グラフたどつ)
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