10 百万遍は家中天神でも
 

 古書によると昔は、私のいる新町でも百万遍があったことが記されている。これによると、
「新町百万遍は、天神社にて相勤め、切札、御供等祝言、奉幣、仁王経読誦、相済候へば、内陣廻り帰る。神人は前日に新町より申来り罷出候事」
とあり、当時の別当寺、観音院さんが天神さんへ来られていた。
 まだ、現、蛭子町の蛭子宮にも今は使わないが相当大きい念珠がある。(物置の中に)
 何年頃だったか、部落に悪病が流行したことがある。この時、南鴨にある大般若経を借り出し、白装束した若衆が、この経箱を担いで、家々、村々を廻ったことがある。白足袋はだしで、この経箱を担いだ人々に、そのまま座敷に上って貰って有難かったという。


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