1 お正月
 

 「東天紅」先づ家の主人は暗いうちに起き出して、〆飾りをした井戸から「若水さん」を汲んで、身を清め、神棚や、佛前に、お灯明を点して拝礼、それから氏神さまにお詣りする。主婦はこの間に、この佳き日お正月にとお雑煮の仕度に忙しい。子供も嬉しいので早々と起き出し、ここで一家揃って、先づ「おとそ」を汲み交し、ついてお雑煮を祝うのが一般家庭の通例である。
 このお雑煮については昭和45年初旦、NHKTVで町出身の民族学者、武田明先生が出場、解説とほんものが出た。これによると、全般ではないが、香川県地方では、先づ、普通に白味噌汁に小餅・大根の輪切りを入れる。それにタツクリ(ごまめ)黒豆・洗芋・蓮根・牛蒡の煮付たものなどを添える。全国的のものから見ると、四国地方の正月雑煮は一番簡単であったようだ。
 昔はこれに「数の子」もついていたが、最近では、品薄(日ソ漁協の関係)で全く貴重な存在、海のダイやともいわれ、全く高嶺の花で、一般家庭では、大抵ご遠慮している。
このお雑煮も大抵三か日で終る。

 正月三日は、朝早く、仲ノ町の多聞院さんの、大鐘が暗いうちから鳴らされる。これはこの寺にある毘沙門さんのお祀りで大抵の人は詣ることになっていた。寺では福引もあり、また「お宝」といって笹に大判・小判やお多福の面などをブラ下げたもの、割箸に白紙を折って挟んだお札などを売って、色々な店屋も出て大混雑する。
 これに先立って「二日」は、町内の店屋では「初売り」といい、買う客は「初買い」というご祝儀的な商賣をする日で、この日は早く町へ行って買物をすると、店から絵カルタや手拭やを呉れる。また店によっては、この日の一番客には銭箱の上に飾ってある大鏡餅を呉れるので、暗いうちからトントンと叩き起こされる。私の家も、商売であったの例外でない。

 正月七日は、七草の日
おおばこ・芹・水菜・百花・その他で七種として、雑炊をこしらへる農家が多かった。
これにも仕切(しき)たりというのが家々にあって、私の聞いた農家では、朝早く起きた主婦が俎板(まないた)を左手に、包丁を右手に摺り古木(すりこぎ・でんぎともいう)で俎板を叩き乍ら
  唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬさきに  なづな七草、チョッキリ チョッキリ
と唱え乍ら、コンコロコンコロ カテカテと何回も繰り返えしていう。
        (道福寺袖で)(青山さん談)

 正月十四日は「オガの口あけ」
豆を炒って、粉にして、田んぼの畦へまく。この「おがの口あけ」をしておくとオンゴロモチ(もぐら)が来ないという。

 正月十五日 送り正月 (ドンド焼)
〆縄や門松を焼く、その火でお鏡餅を焼いて食べると病気にならないという。
佐柳島では、この灰を集めて、屋敷のぐるり(周囲)にまく。
これは悪い虫や悪病神が入って来られないためだそうだ。  (佐柳島で)

 正月十六日 籔入り
この日、店やでは丁稚、子供に一日の暇を出す、今でいう公休日、彼等には一番嬉しい日でもあっただろう。今はこんな制度はない。

 正月十七日 初観音  (首山観音)
この多度津中心としての町や村から、この十七日を初観音さんとして、三豊郡麻村にある首山観音(十一面観音さん)へ早朝から昔は旧道を通ってお詣りしていた。今はハイヤーなどで飛しているが、お山では、地元の主婦達がうどん・すし等を造えて賣ったり、寺では小豆粥(あずきがゆ)を出す。警察の臨時派出所まで出来て、大混雑を呈する。

 正月十四日 カイツリを祝う
この日を「カイツリ」と言って、夕方から子供達は「ザル」小さい篭や、袋をもって一軒一軒「カイツリ祝うてつか」と言い乍ら歩く。家では、ミカンや小銭・餅などをそれに入れてやる。
この風習は今でもこの裏手の蛭子町では、細々と続けられている。
また、この「かいつり祝い」は高見・佐柳の島にもあって、島の子供達は「カイツリ」を貰って帰えると、家の前の空地に四本青竹を立て、〆縄を張り、これを「サギッチョ」という。その中で飯を炊いたり、餅を焼いて食べて遊ぶ。 (蛭子町・高見・佐柳など)


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