29 堀江の貝殻地藏さん (堀江部落) | ||||||
多度津町文化財指定第十一号、指定物件、延命地藏石佛壱体 昭和45年2月19日附、多度津町教育委員会から交附された指定が、この地藏さんである。 この地藏さんは、堀江弘浜八幡宮の境内の西にお祀りする大きい石地藏さんである。 昔、このお地藏さんは、地藏鼻といって、八幡さんの裏手辺りから砂浜が長く北へ突き出していて、この先へ地藏さんを安置してあったと伝えられ、讃陽綱目という古い本にもこのことが記されている。これによると昔、地藏さんのあった処から、東は坂出の乃生岬・西は三豊郡の箱の岬が見通せる処だと書いてある。私は多度津町史を作っていた関係上、その時、小舟を出して実測したことがある。現在の陸地から600mも沖合に出ないとこの二つの岬は見通すことが出来なかったので、昔は相当長い砂浜が海の中へ突き出ていたと思う。永年の風化や、地盤沈下もあったであろう。そしていつの間にか、この長い砂浜も壊れたのであろう。そして、このお地藏さんも海の中に沈まったのだろう。 それから夜毎に海中で光るものがあるので、地元の漁師は何か知ら、勿体ないと大勢で引き上げて見ると、このお地藏さんなので、これを運んで八幡さんの境内にお祀りしたと伝えられている。 永らく海中に沈んでいたので、お地藏さんの背や、その他、所々に貝類が附着していた痕がいまも、はっきりと見ることが出来る。この古書による地藏鼻の沈下、潰滅と、地藏さんの貝類附着など一連の土地の変遷とも関連するものがあると思うので一層の研究が望まれる問題である。 こんな事由によって、町文化財保護委員に席を置く私は、これを採り上げて、指定方を推薦した訳である。 なおこの貝殻地藏尊は、ご利益もあらたかで、お陰を受けたと言う人々は多い。今尚、近在は、もとより、遠方からも、自動車などでお詣りに来る人が多い。そして、いつも新しい香花や、供物の絶えることのない、信仰中心の有難い貝殻地藏さんとして知られている。
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