17 多度津極楽橋と黒門
 

 多度津町内を貫流する川を桜川という。この川から北の方は、一帶に砂地で墓場であった。(現在国鉄多度津工場の処)
今も、極楽橋というのがあるが、この橋を渡らないことには、お墓へ行けないので、極楽橋と名がついたそうである。
この橋の元詰めには、明治の初年までは、多度津藩の黒門があって、門番が、いかめしく控え、夕刻後は、通行手形が必要であったと伝えられている。(現存者の富井祖母談)

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