15 蛭子神社の海上渡御
 
蛭子町(昔は通稱堀江といっていた)は昔から漁業を営む家の多い部落であって、私が小さい頃の記憶では漁舟も六・七十隻はあったと思う。
この部落一円の信仰の中心は何といっても、この「お蛭子さん」である。
そしてこのお蛭子さんのお祭の費用が他村と一寸変っている。それは、お祭の前日漁に出て獲れた魚を、市場へ出し「市にかける」その売上金総てをこのお祭りの費用に当てることになっていた。そのためか、仲々賑かなお祭をすることが出来たようだ。
この日を「総出で」といい、各人が家から銘々に小皿と箸一膳を持参して、社ム所で頭屋が作った料理(大切りにした煮魚や、酢のものなど)を自分自分で挟んで小皿に盛って食べる。
お祭り奉納の獅子舞は、今でもここ丈は昔の通り、化粧した子供の太鼓打ち、そして若い衆が、村中の家々を獅子をつかって廻る。もっとも死人のある家や、忌中の家は入らない。どこも同じだが、この家は祭事一切に手を出さないことになっている。
獅子が家へ這入て来ると、先ず神棚や佛前にお灯明を上げてから、初める。終んだらご祝儀を出す。夜のお神楽に先立って、御輿の海上渡御がある。
これは、白衣装束に身を清めた若い衆が、御輿を、かねて幡や幟り、吹き流しなどで満船飾した漁舟に積み、お供舟を三隻も五隻も随えて、笛、鐘、太鼓を鳴らし乍ら、漁港の中をグルグルと何回も廻って、その年の豊漁を祈願したり、お蛭子さんをお慰めするのだそうである。この近隣では一寸珍らしいお祭り風景である。


   
蛭子神社

ちらし寿司多度津町立資料館在郷風土記もくじ前へ次へ
inserted by FC2 system