3 多度津山の「かっちょ鳥」
 
 昔、多度津山の麓に、その日暮らしの一家があった。
お父さんは仲々の正直者で、毎日、町へ行って何かの行商をして細々と暮らしていた。
一人娘の「カツ」は、お父さんに似て、気立てのやさしい子で、ママ母にもよくつかえる孝行娘であった。しかしママ母は、この娘にはやさしくしないで、何ごとにもつらくあたりちらしていた。
 いつものように「カツ」はこのお母さんの言いつけで、多度津山へ薪を取りに行かせた。
「カツ」は薪をひらい乍ら、いつもやさしかった死んだ自分のお母さんのことを思い出して、涙を浮かべながら、セッセと薪をひらってかごの中に入れていたが、この日はどうしたことか、拾ってもひらっても、ママ母から言いつけられただけの薪が出来ない。
 そのうち、日は暮れ出し、すぐに暗くなって来たが、それでも「カツ」は泣きながら薪をひらっていた。
 フト気がついてかごを見たら、かごの底は、いじ悪く、打ち抜かれてあった。この日、ママ母は「このかご一杯に薪がなるまでは、家へ帰って来たらいかん」と、きつく言い渡されていたのである。またその時のママ母の顔は大へん恐ろしい顔であった。「カツ」は、それでも泣きながら、暗くなった山で薪をひろっていたが、ついに力もつき果て、トボトボと一人山を歩きまわったのである。
 一方、夕方暗くなって行商から帰って来たお父さんは、足に巻いていた脚絆をぬぎながら、お母さんに「こんな暗くなっているのにカツはどうしたんじゃ、見えんじゃないか」と聞くと、ママ母は「あんたは帰る早々、すぐカツのことばかりいうけど、カツはまだ山から帰って来とらん」というたので驚いたお父さんは、脚絆の片方を抜きかけで、そのまま急いで裏の山の方へ走って行って、声の限りに娘「カツ」の名を呼んだ。
 「カツようぅ」「カツようぅ」と
然し、なんぼ呼んでも、山彦だけが悲しくそして淋しげに「カツようぅ」「カツようぅ」とこだまして来るだけであった。
 それから「カツ」の姿も、やさしかったお父さんの姿も、この多度津の山から見えなくなって、ただ不思議なことに、それからこの山で珍しい鳴き方をする鳥がおるのを麓の人々は見もし、またその声を聞いた。
 その鳥の鳴き声は悲しげに「カツようぅ・カツようぅ」といって鳴くそうな。
 よく見ると、片足は白く、片足は黒い。
 子を思う父親の一念は、ついに鳥となって山から山へと、飛びまわり乍ら、可愛い娘をさがしているという。
 この、片足が白で、片足が黒いと言うのは、行商から帰えったお父さんが黒い脚絆の片一方を脱いだまま、娘を探しに飛び出したので、まだ脱がない方の足が、つまり黒いのである。「オシマイ」


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